施設が新設されていく一方で、在宅の障害児に対する施策も開始されました。それが1970年に発足した「心身障害児家庭奉仕員事業」です。ただしこの家庭奉仕員は、1日に2家庭を訪問するという内容で、そこでどんな役割を担うのかが明確になっていませんでした。その後1974年には中央児童福祉審議会が出した答申の中で、在宅対策の強化及び在宅対策と施設対策の関係の強化がうたわれましたが、これは入所施設待機者への応急処置的な色合いのものでした。
この在宅福祉の考え方は、障害者が地域で生活するというノーマライゼーションの思想というよりも、オイルショック後に政府によって出された「福祉見直し論」の影響を受けたものと考えられます。すなわち、お金が足りなくて行政で面倒をみきれないから自助努力と相互扶助努力で何とかしてちょうだい、ということです。この状況はその後の障害者自立支援法の時にも露骨に繰り返されることになります。